きょうのエスキス

一級建築士試験、R2学科復活合格。製図が鬼門。R3は自分に負けない年にする!じんわり日々の振り返り。

逃げ恥、よかったなぁ

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「逃げ恥」が終わり、その余韻が残っています。夫婦を超え、年齢を超え、性別を超え… かわいさ、純粋さ、さっぱりとした感じが、とてもしっくりとくるドラマでした。いろんな方が感想を書かれていて、読んでいて、みなさんのやさしさが伝わってきます。この世界観好きだなぁ。最終回も見どころが満載でしたが、ゆりちゃんの言葉がじんわりときました。「私たちの周りにはね、たくさんの呪いがあるの。あなたが感じているのもその一つ。自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい。」⇨ これは名言ですね。自分や他人に対して、無意識にレッテルを貼っていたのだなぁと。「やりがいの搾取」「好きの搾取」… 家族や人間関係のあり方もドラマを通して、考えさせられました。みくりちゃんとゆりちゃん、ラストは好対照だったなぁ。やっぱりシンプルが一番ですね。ひとと関わろうとすると、わからないことだらけですが、逃げ恥を観ているうちに、好きな人と一緒にいると、自分のなかの好きな一面とも出会えるような気がしてきました。「いいなぁ。愛される人はいいなぁ。」平匡さん、同感です。そして、かわいいは無敵ですね。

トライ・アンド・エラー

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先日OWT(大阪ワークショップたまり場)の忘年会がありました。もう7年ほどのお付き合いになるのですが、みなさん各分野で、主体的に活動をしておられ、毎回とても良い刺激を受けています。今回、私以外は全員男性だったのですが、特に意識することもなく、溶け込めています。ポストイット®︎やシンサレート™️を扱う会社で、営業事務をしていた新入社員の頃に、月一で管理職の方のお食事会に招いていただき、そこで場なれしたものと思われます。同期が若手社員と飲み会をしていた傍らでです(笑)当時ペアで仕事をしていた、現在の私くらいの年齢だった八木さんが、いつか必ず役に立つときがくると。本当にその通りになりました。

OWTは職場以外の仲間なので、誰もが気を張らず、落ち着ける場所。そこで各々思い描いているビジョンを共有し合いました。現実と折り合いをつけながら、新たな価値観も取り入れ、その人らしく歩んでいるなと、話を聴いていて、こちらまで嬉しくなりました。しかし、いざ自分の番となると、適当な答えが見つからず、あたふたしてしまいました。私たちは6つの箱というツールを使って、思考を整理するのですが、『ビジョンありき』だと、耳にタコができるほど聞いていたにもかかわらず、今まで欠点探しやその克服ばかりしていたのです。

明確なビジョン、行きたいところがはっきりしている人は、そこから見て、自分にダメ出しすることはよいと思います。けれど、ビジョンのない状態で、同じことをすると、目に付いた自分のアラをやみくもに矯正することになり、的を外すどころか、いい部分までつぶしかねません。私はずっとこの事をし続けていたのだと思います。反芻することは健康的ではありませんね。前回登場した自由ネコさんが言っていたように、悩んでいるときは休むか、体を動かす。調子が良いときに、未来を思い描く。これに尽きますね。余談ですが、考えるときはお気に入りの道を歩くに限ります。毎朝最寄り駅までの30分、カフェからの帰り道は2駅分が習慣になりました。

山田ズーニーさんの『考えるシート』のなかでも、社会とつながるコミュニケーションは、ゴールを明確に!と書かれてありました。どの職業に就いて、主にどのようなテーマに取り組んでいきたいのか?また、実現したい世界観(ビジョン)は具体的にどんなことか?「なりたい職業名」✖︎「マイ・テーマ」✖︎「実現したい世界観」がしっかり押さえられていると、ビジョンに向かって、歩みを進めることができるんだと。ズーニーさんは自らでその道を切り拓いてきた方なので、励みになります。私もさっそく取り組んでみました。「建築技術者」✖︎「福祉と教育」✖︎「サードプレイス(第三の居場所)」。この「考えるシート」を使いながら、実際に動いてみます。トライ・アンド・エラーを重ねていこう!

ピュアさとよどみの間で

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今日の記事は、カフェにある『自然』の最終章です。「農作業」をするように、社会生活を送ろう!「自然」に合わせるようなリズムで。季節、昼夜、水・土・風。それらの変化の流れに合わせて、作業ができる時に作業し、そうでないときに休む。シンプルでよいなぁと。ある人からも、励ましのメッセージとして、鴨長明方丈記の冒頭文を送って下さいました。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」

ところで、そもそもオン・オフってどのような時に働くんだろう?役割を果たすとき?それとも責任が伴うとき?と考えを突き詰めていくと… そもそも役割分担(分業)するのが苦手なんじゃないか!?ゾクッ、ゾクッ!!じつは、なんでも自分でやりきってしまう、自己完結型なのです。隙がないくらいなら、まだマシですが、ほかの人の仕事まで奪っていたのかもしれません。私は長女なのですが、そんなの関係ありませんね。

たくさんの人が活動するときには、それぞれの人が役割を分担して、事に当たる必要が出てきます。そうすることで、大きな組織では、ひとりではできない、より大きなものを生み出すことができると思います。要領が良いと言うと、聞こえはわるいですが、別の側面から見れば、相手を信頼して、仕事を任せられるということでもあると思います。ここだけは外せないという部分だけを、きっちりやっておいたら大丈夫なはずなのに、私にはそれがなかなかできなかったのです。

オン・オフの切り替えが不器用でできないと思っていたのですが、そうすることがただキライなだけだったのです。『だってよけいに時間がかかるし、面倒くさいから。』私はどんなに腹黒なんだ(笑)そして、なぜこんなにがんばってしまうんだろう?と考えると、やっぱり自信のなさから来ているんだなと。ややこしいなぁ。よし、ここを集中的にストレッチだなぁ(^-^)

さて、私が最近よく読んでいるのが、自由ネコさんのブログ。ツイッターのつぶやきも目からウロコです。

 

 

 

日曜のつぶやき

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なぜか「はてな」に来て、何かを書こうとすると、とてもホッとします。ただ書きたいという純粋な気持ちにブログは合ってるんだと思います。前々回の記事を近況報告で、久しぶりにFacebookにシェアしようと開いてみると、情報が多すぎて酔ってしまいました。5年前に、今の1日の情報量は、江戸時代の一生分だと聞いたので、今はそれ以上だと思われます。きっとわたしの脳の容量では処理しきれず、フリーズしてしまっているんだと思います。そんな私のような情報の編集が苦手な人がいるから、まとめサイトも流行っているのだなぁと。どこにニーズが隠れているのかわからないものですね。

それに、友だちに本当は思っていない、気の利いた返事もできなくなりました。無理して元気ですとハッピーを演出しても、周囲にはきっとバレバレだし、より虚しくなるだけですからね。最近苦手なことを知ることで、自分のことがより見えてくるようになりました。何を省いて、より大切なことに集中するのか。時が経つのが年々早く感じられ、考えることと悩むことを一緒にしちゃったらいけないなと感じるようになりました。私にとって、何か大きな成果を成し遂げることよりも、誰かのちょっとした変化に気づける、こころのゆとりを持てる事の方が大切だし、幸せだなと感じます。Facebookの華やかな雰囲気よりも、今は「はてな」の方が合っているんだなぁ。ってただのつぶやきになってしまいました。

今日は、構造力学の応力を勉強しています。板挟みになった小人さんの気持ちになり、プレッシャーを感じています。この想像力は問題を解くうえでも大切です(^-^)

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ちいさい勇気

前回の記事もそうですが、私のなかで、一気に視界が広がり、吹っ切れた感覚があります。それはズーニーさんの言っている「小さい勇気」を出したからです。私の場合は、カミングアウトです。自分のことばかり気にしていると、問題ばかりに目が行き、深刻になり、こころもからだもカチコチになってしまい、下手をすると、周りにまで伝染してしまいます。そして、そうなりかけていました。そんなとき、ある方の正直さを通して、私もちょっくら勇気を出してみようかなと、前のめりな覚悟ができました。そして、実際話してみたら、「なんでもっと早く言ってくれへんかったん 笑」と意外な言葉が返ってきて、一気にフニャと全身がゆるみました。

今まではまるで地面にガチガチに固められたコンクリートの太い柱のようで、横から圧力がかかると、今にもせん断破壊しそうな勢いでした。ペシャンコ状態ですね。「小さい勇気」はあえてスリット(逃げ)を入れることなのかなと。これなら力がかかっても、致命傷にはなりません。私の場合、柳のような自然な感じではなく、カミングアウトしたことで鉄筋補強したような感じです。ブサイクではありますが、これで一応曲がるようになりました。早めに「小さい勇気」を出して、そんなカッコわるい状態でも、受け入れてくれる仲間を大切にしようと思ったのでした。「小さい勇気」が連鎖していけば、もっと楽しい世界が広がることは間違いありません。注)私のブログには、時折Eテレ2355のキャラクターが登場します。

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転がった先には

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今日は、大阪市の西の外れにある公立中学校で、久しぶりの現地調査でした。じつは、設計事務所で働くことを目標に、20代に内装や造作工事の現場監督をしていたことがありました。あれからもう干支ひと回りくらいの年月が経っていて驚きました。余談ですが、私の転職は、職種ごと変わってしまうため、意味不明な生き方として捉えられることが多いです。ところが、想定外の結果をもたらすこともありました。

約3年前に介護福祉士社会福祉主事の資格をとり、ケースワーカーの仕事をしていたとき、労災や病気で福祉を受けていた高齢の職人さんたちの怒りや悲しみの声を、今までの経験を通して、頭のなかで想像しながら、傾聴することができました。それが直接のきっかけになったかどうかはわかりませんが、こころを開かれ、コミュニケーションを図ることができたり、就労自立される方も出てきました。この時、どの経験もいつか線でつながっていくのだなと感じました。

さて、話は戻りますが、午前中は所長のサポートで、校庭周辺のレベル測量をしました。棒状の標尺を持って観測点に立っていたらよいと気楽に考えていたら、標尺を読み取る方でした。オートレベルという計測器具がとても厄介で、慣れていないと、設置したり、対象にピントが合わせるのがかなり難しいのです。これじゃなかなか数字が読めないので、作業がはかどらないし、どうしようと、ものすごく焦りました。しかし、所長は動じることなく、穏やかに待っていて下さいました。

午後からは分担作業で、私はプール近くにある廃墟と化した更衣室や機械室に1人で入り、天井高さや建具の大きさを計測することになりました。北側なのか日がまったく差さず、室内はクモの巣が張っているわ、壁や天井に触れると、ベリベリと塗装が剥がれ落ちるわでしたが、秘密基地に来たみたいで、楽しかったです。ここでは、コンベックス(鋼製巻尺)を使いました。使いこなしている職人さんや設計士さんは、まるで南京玉すだれのように、天井に這わせたり、自由自在に操っています。私もちょっと調子に乗ってチャレンジしたところ、垂れてきて顔面に直撃。ビックリして手をゆるめたと同時に、5メートル先からものすごい勢いで、巻き取り開始。シュル、シュル、シュル、人差し指にパチッ!麻宮サキのヨーヨーよりも速っ!凶器だわ(古っ!笑)この経験もどこかで活きてくると思うことにします!!

帰りの車で、所長から「どこを測ったらよいか、わからんかったんと違う?来週に図面書いてもらうとき、説明するからね。撤去で何を算出するのかをね。」と。今日も、きっと私が技術を身につけたいと言っていたから、現場に連れてきてくれたのかな?気合いが伝わったのかな?なんだか嬉しくなりました。

今週、建築士会から導入講座のDVDが届き、本格的に一級建築士の受験勉強を始めました。いったん挫折してからの再チャレンジ。まずは、構造力学・環境設備から手をつけたのですが、思っていた以上にとっつきやすい!!環境振動を専門にされている先生ならではの、ポイントを絞ったわかりやすい解説と、手づくりだけどデザイン性もあるサブテキストで、がぜんやる気がわいてきました。独学でただ過去問を解くだけとは違い、実践でも役に立ちそうです。先生方を信頼し、来年1月からの通学を心待ちにしておきます。またこちらでも書きますね。摩耶観光ホテルや、奈良少年刑務所などの産業遺産も気になっていますが、それはまた次回に。

三日月ストレッチ

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ブログを書き始めて、まもなく1年。最近アウトプットをしつくした感がありました。そこで、総まとめとして、今までを振り返ってみることにしました。書き続けてみて、何が変わったかというと、人間関係がせまく、深くなりました。ひとにいい顔をしなくなりました。何かを求めて、外に出かけることが少なくなりました。むだな買い物が減りました。好きなものだけを使い続けるようになり、着る服が減りました。ブログ以外のSNSの投稿が減りました。多くの「いいね」がなくなった反面、ニッチな部分でつながれる仲間が、リアルにできました。仕事をするのに、オン・オフの切り替えが必要でなくなりました。将来に対する不安や期待、執着をあまりしなくなりました。そして、ストレスフリーになった気がしていたのですが。

昨日、滝谷にある、ミュージックハウスのお披露目会に行ってきました。塾で知り合った音楽の先生が、サロンを開くからと誘って下さったのですが、そこには先生のご主人、妹さん、叔母さんが勢揃い。ご家族のみなさんは、とってもおおらかで、高らかに笑っていて、こちらも愉快な気持ちになりました。サロンはきれいに改装され、最新のカラオケ機材、それとは対照的に、先生が小さい頃に演奏されていた、50年モノのピアノが並んで置かれてありました。先生は塾のほかにも、自宅でピアノ教室を開いたり、福祉施設を慰問したり、さらには大学院にも通っているそうで、そのパワフルさは私も見習いたいなぁと思いました。たしかお孫さんもいると言ってたような。ご近所さんから、なじみの美容師さん、ピアニストさん… 続々とやってきて、クリスマス曲の生演奏まで聴くことができました。演者の方を含めて、先生が書いている論文の話で盛り上がり、そのなかで知ったのが、音楽家の職業病と言われている「フォーカル・ジストニア」でした。

「フォーカル・ジストニアは、主にプロの演奏家など、楽器を高いレベルで演奏する人が、例えばピアノやバイオリンなどの演奏の際に正確に指が動かせなくなる、といった症状が出るものです。 具体的には、手の指の筋肉に変に力が入ってしまい、うまく滑らかに指が動かなかったり、反対に動くべきでない指が勝手に動いてしまって上手に演奏ができなくなってしまうことをいいます。」
 

好きな音楽で生きてきた人にとっては、アイデンティティを喪失するほどのショックだと思います。実際、当事者の方にお会いし、お話を聴くことができました。鍵盤ハーモニカによる三重奏はとても素敵でしたが、その裏側には思ってもいなかった真実が潜んでいました。その方はピアノにふれようとすると、右手の指の筋肉がこわばってしまうというのです。他にもサックス奏者だと、首が反り返ってしまうというのです。自分のカラダやこころを守るために、防衛機制が働いているのではないのかと、先生なりの見解で話をされていました。どの世界でも起きることだなと思いました。しかし、その方にとって、再生のきっかけとなったのも、また音楽だったのです。これからは考え方を変えて、無理だ!と思っていた境界線を越えてみたいと思うようになりました。

帰りにカフェに寄って、しみじみと感じながら、コーヒーを飲んでいたら、フロリダ・オーランドから、大好きなRさんとKさん(2人とも日本人です)がわざわざ電話をかけてきて下さいました。何かを察したのか!?話のなかで「最近自分のことばかり考えてるんじゃないの?」と図星なひと言を放たれ、目がさめました。最近周りがまったく見えていませんでした。この週末にあった出来事で、自分に足りないものがどんどん見えてきて、落胆していたようです。そして、いつからか無意識にこころの壁を閉ざしてしまっていたのです。今日からまたストレッチです。三日月ストレッチ♪♪