逃げ恥、よかったなぁ
#逃げ恥 本当に良いものを拝見しました。私は長い間男女というものは結局理解し合えないのではないかと諦めて生きてるけど、こんな作品が生まれ大人気になる世の中で、少し希望はあるのかなぁと思えました。このドラマを見た若い人達が社会を担う頃、きっとまた何かが変わっていくのだと思います。
— かな ドラマ鑑賞アカ (@kanadorama) 2016年12月20日
みくりを、小賢しい女だって延々と自分に呪いをかけ続けてしまう、ってキャラとして組み立て直して、ずっとその呪いを繰り返し続けて、最後の最後で平匡に「そんなこと思ったことない」って言わせる脚本は本当にすごい。みくりの呪いを解けるのは素の平匡。なんという王道ラブロマンス。 #逃げ恥
— はなびら葵 (@hollyhockpetal) 2016年12月20日
いやーこれは良い文章だ。逃げ恥への愛に溢れている。ちょっと鳥肌が立つくらいに、気持ちが伝わる。俺もこんな記事書きたい。
— シン・逃げ恥狂いのがーすー (@yukiphonic) 2016年12月21日
最終話の登場人物の心情や背景を、わかりやすく解説してます。ぜひご一読を。https://t.co/HhvQY4XF46
「逃げ恥」が終わり、その余韻が残っています。夫婦を超え、年齢を超え、性別を超え… かわいさ、純粋さ、さっぱりとした感じが、とてもしっくりとくるドラマでした。いろんな方が感想を書かれていて、読んでいて、みなさんのやさしさが伝わってきます。この世界観好きだなぁ。最終回も見どころが満載でしたが、ゆりちゃんの言葉がじんわりときました。「私たちの周りにはね、たくさんの呪いがあるの。あなたが感じているのもその一つ。自分に呪いをかけないで。そんな恐ろしい呪いからはさっさと逃げてしまいなさい。」⇨ これは名言ですね。自分や他人に対して、無意識にレッテルを貼っていたのだなぁと。「やりがいの搾取」「好きの搾取」… 家族や人間関係のあり方もドラマを通して、考えさせられました。みくりちゃんとゆりちゃん、ラストは好対照だったなぁ。やっぱりシンプルが一番ですね。ひとと関わろうとすると、わからないことだらけですが、逃げ恥を観ているうちに、好きな人と一緒にいると、自分のなかの好きな一面とも出会えるような気がしてきました。「いいなぁ。愛される人はいいなぁ。」平匡さん、同感です。そして、かわいいは無敵ですね。
トライ・アンド・エラー
ピュアさとよどみの間で
今日の記事は、カフェにある『自然』の最終章です。「農作業」をするように、社会生活を送ろう!「自然」に合わせるようなリズムで。季節、昼夜、水・土・風。それらの変化の流れに合わせて、作業ができる時に作業し、そうでないときに休む。シンプルでよいなぁと。ある人からも、励ましのメッセージとして、鴨長明の方丈記の冒頭文を送って下さいました。「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。」
ところで、そもそもオン・オフってどのような時に働くんだろう?役割を果たすとき?それとも責任が伴うとき?と考えを突き詰めていくと… そもそも役割分担(分業)するのが苦手なんじゃないか!?ゾクッ、ゾクッ!!じつは、なんでも自分でやりきってしまう、自己完結型なのです。隙がないくらいなら、まだマシですが、ほかの人の仕事まで奪っていたのかもしれません。私は長女なのですが、そんなの関係ありませんね。
たくさんの人が活動するときには、それぞれの人が役割を分担して、事に当たる必要が出てきます。そうすることで、大きな組織では、ひとりではできない、より大きなものを生み出すことができると思います。要領が良いと言うと、聞こえはわるいですが、別の側面から見れば、相手を信頼して、仕事を任せられるということでもあると思います。ここだけは外せないという部分だけを、きっちりやっておいたら大丈夫なはずなのに、私にはそれがなかなかできなかったのです。
オン・オフの切り替えが不器用でできないと思っていたのですが、そうすることがただキライなだけだったのです。『だってよけいに時間がかかるし、面倒くさいから。』私はどんなに腹黒なんだ(笑)そして、なぜこんなにがんばってしまうんだろう?と考えると、やっぱり自信のなさから来ているんだなと。ややこしいなぁ。よし、ここを集中的にストレッチだなぁ(^-^)
さて、私が最近よく読んでいるのが、自由ネコさんのブログ。ツイッターのつぶやきも目からウロコです。
「批判する人」の多くは何に対しても批判的で、「肯定的な人」は何に対しても肯定的だったりする。そう考えると、どちらもバランスを欠いた人の意見だから、そんなに気にする必要はないのかもしれない。
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年12月8日
やっぱり一番大事にしなきゃいけないのは「自分自身の心の声」だよね。という結論に至りました。
“今、生きるのが辛い人へ。大丈夫だ、オレも辛いぞ。 - 自由ネコ” (2 users) https://t.co/u9doMz7M9S #はてなブログ #人生
— ネコ師匠@自由ネコ (@gattoliberoTW) 2016年12月10日
日曜のつぶやき
ちいさい勇気
悲しい出来事は、悪い人がいるからでなく、善良な人の「小さい勇気」が出せないことから起こる。なんとなく恐いというような無自覚の理由で、つい、小さい勇気を出せず引っ込んでしまったことが、次々積載して大問題になる。発覚した時周りは言う「なぜ言ってくれなかった」と。勇気、出した方がいい。
— 山田ズーニー (@zoonieyamada) 2016年12月7日
前回の記事もそうですが、私のなかで、一気に視界が広がり、吹っ切れた感覚があります。それはズーニーさんの言っている「小さい勇気」を出したからです。私の場合は、カミングアウトです。自分のことばかり気にしていると、問題ばかりに目が行き、深刻になり、こころもからだもカチコチになってしまい、下手をすると、周りにまで伝染してしまいます。そして、そうなりかけていました。そんなとき、ある方の正直さを通して、私もちょっくら勇気を出してみようかなと、前のめりな覚悟ができました。そして、実際話してみたら、「なんでもっと早く言ってくれへんかったん 笑」と意外な言葉が返ってきて、一気にフニャと全身がゆるみました。
転がった先には
今日は、大阪市の西の外れにある公立中学校で、久しぶりの現地調査でした。じつは、設計事務所で働くことを目標に、20代に内装や造作工事の現場監督をしていたことがありました。あれからもう干支ひと回りくらいの年月が経っていて驚きました。余談ですが、私の転職は、職種ごと変わってしまうため、意味不明な生き方として捉えられることが多いです。ところが、想定外の結果をもたらすこともありました。
思考の枠を外すには、意味不明な生き方をしている人間を目撃することが一番。 - いばや通信 https://t.co/SUfT3LKGBm
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年12月6日
約3年前に介護福祉士と社会福祉主事の資格をとり、ケースワーカーの仕事をしていたとき、労災や病気で福祉を受けていた高齢の職人さんたちの怒りや悲しみの声を、今までの経験を通して、頭のなかで想像しながら、傾聴することができました。それが直接のきっかけになったかどうかはわかりませんが、こころを開かれ、コミュニケーションを図ることができたり、就労自立される方も出てきました。この時、どの経験もいつか線でつながっていくのだなと感じました。
さて、話は戻りますが、午前中は所長のサポートで、校庭周辺のレベル測量をしました。棒状の標尺を持って観測点に立っていたらよいと気楽に考えていたら、標尺を読み取る方でした。オートレベルという計測器具がとても厄介で、慣れていないと、設置したり、対象にピントが合わせるのがかなり難しいのです。これじゃなかなか数字が読めないので、作業がはかどらないし、どうしようと、ものすごく焦りました。しかし、所長は動じることなく、穏やかに待っていて下さいました。
午後からは分担作業で、私はプール近くにある廃墟と化した更衣室や機械室に1人で入り、天井高さや建具の大きさを計測することになりました。北側なのか日がまったく差さず、室内はクモの巣が張っているわ、壁や天井に触れると、ベリベリと塗装が剥がれ落ちるわでしたが、秘密基地に来たみたいで、楽しかったです。ここでは、コンベックス(鋼製巻尺)を使いました。使いこなしている職人さんや設計士さんは、まるで南京玉すだれのように、天井に這わせたり、自由自在に操っています。私もちょっと調子に乗ってチャレンジしたところ、垂れてきて顔面に直撃。ビックリして手をゆるめたと同時に、5メートル先からものすごい勢いで、巻き取り開始。シュル、シュル、シュル、人差し指にパチッ!麻宮サキのヨーヨーよりも速っ!凶器だわ(古っ!笑)この経験もどこかで活きてくると思うことにします!!
帰りの車で、所長から「どこを測ったらよいか、わからんかったんと違う?来週に図面書いてもらうとき、説明するからね。撤去で何を算出するのかをね。」と。今日も、きっと私が技術を身につけたいと言っていたから、現場に連れてきてくれたのかな?気合いが伝わったのかな?なんだか嬉しくなりました。
今週、建築士会から導入講座のDVDが届き、本格的に一級建築士の受験勉強を始めました。いったん挫折してからの再チャレンジ。まずは、構造力学・環境設備から手をつけたのですが、思っていた以上にとっつきやすい!!環境振動を専門にされている先生ならではの、ポイントを絞ったわかりやすい解説と、手づくりだけどデザイン性もあるサブテキストで、がぜんやる気がわいてきました。独学でただ過去問を解くだけとは違い、実践でも役に立ちそうです。先生方を信頼し、来年1月からの通学を心待ちにしておきます。またこちらでも書きますね。摩耶観光ホテルや、奈良少年刑務所などの産業遺産も気になっていますが、それはまた次回に。
三日月ストレッチ
ブログを書き始めて、まもなく1年。最近アウトプットをしつくした感がありました。そこで、総まとめとして、今までを振り返ってみることにしました。書き続けてみて、何が変わったかというと、人間関係がせまく、深くなりました。ひとにいい顔をしなくなりました。何かを求めて、外に出かけることが少なくなりました。むだな買い物が減りました。好きなものだけを使い続けるようになり、着る服が減りました。ブログ以外のSNSの投稿が減りました。多くの「いいね」がなくなった反面、ニッチな部分でつながれる仲間が、リアルにできました。仕事をするのに、オン・オフの切り替えが必要でなくなりました。将来に対する不安や期待、執着をあまりしなくなりました。そして、ストレスフリーになった気がしていたのですが。
昨日、滝谷にある、ミュージックハウスのお披露目会に行ってきました。塾で知り合った音楽の先生が、サロンを開くからと誘って下さったのですが、そこには先生のご主人、妹さん、叔母さんが勢揃い。ご家族のみなさんは、とってもおおらかで、高らかに笑っていて、こちらも愉快な気持ちになりました。サロンはきれいに改装され、最新のカラオケ機材、それとは対照的に、先生が小さい頃に演奏されていた、50年モノのピアノが並んで置かれてありました。先生は塾のほかにも、自宅でピアノ教室を開いたり、福祉施設を慰問したり、さらには大学院にも通っているそうで、そのパワフルさは私も見習いたいなぁと思いました。たしかお孫さんもいると言ってたような。ご近所さんから、なじみの美容師さん、ピアニストさん… 続々とやってきて、クリスマス曲の生演奏まで聴くことができました。演者の方を含めて、先生が書いている論文の話で盛り上がり、そのなかで知ったのが、音楽家の職業病と言われている「フォーカル・ジストニア」でした。
好きな音楽で生きてきた人にとっては、アイデンティティを喪失するほどのショックだと思います。実際、当事者の方にお会いし、お話を聴くことができました。鍵盤ハーモニカによる三重奏はとても素敵でしたが、その裏側には思ってもいなかった真実が潜んでいました。その方はピアノにふれようとすると、右手の指の筋肉がこわばってしまうというのです。他にもサックス奏者だと、首が反り返ってしまうというのです。自分のカラダやこころを守るために、防衛機制が働いているのではないのかと、先生なりの見解で話をされていました。どの世界でも起きることだなと思いました。しかし、その方にとって、再生のきっかけとなったのも、また音楽だったのです。これからは考え方を変えて、無理だ!と思っていた境界線を越えてみたいと思うようになりました。
帰りにカフェに寄って、しみじみと感じながら、コーヒーを飲んでいたら、フロリダ・オーランドから、大好きなRさんとKさん(2人とも日本人です)がわざわざ電話をかけてきて下さいました。何かを察したのか!?話のなかで「最近自分のことばかり考えてるんじゃないの?」と図星なひと言を放たれ、目がさめました。最近周りがまったく見えていませんでした。この週末にあった出来事で、自分に足りないものがどんどん見えてきて、落胆していたようです。そして、いつからか無意識にこころの壁を閉ざしてしまっていたのです。今日からまたストレッチです。三日月ストレッチ♪♪