きょうのエスキス

一級建築士試験、R2学科復活合格。製図が鬼門。R3は自分に負けない年にする!じんわり日々の振り返り。

がむしゃらに

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あれから、15年の月日が流れました。

社会人になって、三年目。

昼は環境工学の土木コンサルで働きながら

夜は建築の専門学校に通い始めるようになり

新たな一歩を踏み出していました。


その学校には、現役生のほかに

ダブルスクールで通ってる大学生

社会人では、京大出身の司法書士さん

定年間近の大阪市交通局の職員さん

工務店の跡を継ぐ息子さん

一流企業に勤めるキャリアウーマン…

多彩な面々がそろっていて、にぎやかでした。


ちなみに、本来の勉強はというと

特に構造力学はさっぱり理解できず

まわりの人に聞きまくったり

製図の宿題は、夜中までかかることも多く

そんなこともあって、お互い励まし合いながら

クラスの結束力はだんだんと増していったのでした。


そのなかでも、印象に残るのは

私たちの星になったK君。


私よりも3歳年下でしたが

体格がよく、さわやかな好青年。

ユーモアがあり、みんなのムードメーカー。

設計のエスキスも、独創性豊かで

自信に満ちあふれていました。


そんなK君とは、同じ沿線だったこともあり

よく一緒に帰っていました。

混雑した電車に揺られながらも

話すネタは尽きず、楽しいひととき。

男女の友情もあり得るかもなんて

よく言い合って、笑っていたものでした。


二回生の夏、不意でしたが

なんで建築家を目指してるん?と聞いてみると

『夢を諦めたからだ』とK君。


以前は、サッカーをしていたが

ドクターストップがかかり

選手生命が絶たれたからだと

真剣な眼差しで教えてくれました。


「これからは、指導者としての道と建築の道

欲張りやけどな、両方がんばってみようと

思うねん。フットサルの普及活動もしたいし

オカンのために、立派な家も建ててやりたいしな。」


その話をしてから、授業数も減っていき

K君に会うこともなくなっていました。


どうしてるかな?

元気にしてるかな?


そうこうしているうちに、冬になり

学校から一本の電話が。

「じつは、K君が亡くなって…」


心臓発作によるものでした。

ただ呆然と立ち尽くすしかありませんでした。


まだ、22歳。

あまりにも駆け足だった人生。

だけど、みんなから愛され、全力で

生き抜いたんやなぁって。


久々に、K君の姿が脳裏をよぎりました。

最近、へこたれていたからだろうなぁ。

なんだか喝を入れてくれた気がしました。 


人生、生きてるだけで、丸儲け やね。

私は、これからも、突き進むで!!

 

P.S.  K君、本当にありがとう。

ご冥福をお祈りいたします。