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きょうのエスキス

静かにじんわりと、日々の振り返り。自分のための。B面。

数学する思考

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最近、詰め込み教育はわるくないのではと思うようになりました。ブログを書いてみて、ある程度の知識や知恵がないと、自由に思考することができないと気づいたからです。また、今まで悲しみに打ちひしがれるたびに、これらは発想を転換させ、自分自身を回復させる原動力にもなっていたのです。その基礎を学んだのは、中学時代に塾で出会った川越先生でした。数学を教わることで、知識以上のものを、生きていくための方法、論理的思考も学んでいたのです。(ただし、国語は苦手教科のまま克服できなかったので、文章力はこのブログで鍛えている真っ最中ではありますが。)

私には、当時心を許せる友達はおらず、離れて暮らす母に、「同僚の娘さんのまゆみちゃんがトランペット貸してくれるって言ってるよ」とブラスバンド部を勧められ、入部。楽器の華やかさ、先輩たちの演奏に魅せられ、少しずつメンバーに心を開き始めていた頃でした。そんな開放感があって、生き甲斐になっていた部活に対し、先生やクラスメイトのいる授業は、鬱屈した日常に振り戻されるイヤな時間でした。しかし、中1が終わる頃、このままではいけないと決心し、学校以外の場所で友達を作れるかもしれないと行き着いた先が塾でした。

入塾テストの日、学年の入れ替わりとともに、新しい先生に変わるからと見学に来られていたのが、川越先生でした。先生は、私が数学を解いているのをじーっと見つめていました。そして、テストが終わると、先生がこちらに近寄ってきて、「伸びしろ、ありそうや。こりゃ、おもしろい!これから楽しみにしててな。」と。そんなことで、まるで被験者のように、応用クラスに進むことになった私は、授業の内容が理解できない、分厚いテキストから出される大量の宿題をこなせない… ビリで劣等感丸出しの、お手上げ状態でした。しかし、とにかく先生を信じて、ついていくしかないと。先生は授業のなかで、問題パターンを徹底的に解説してくれました。最低限必要となる『公式』と『解法』を身につけ、それらの最低限の知識をどのように応用すればよいのかを考える訓練をしていたのです。数をこなして、身体で覚えるやり方は私に合っていたようで、次第に謎解きをするように面白くなっていきました。

今までやったことのない問題を自力で解く!数学は暗記ではなく、想像力を働かせることが必要なんだと。しかも、問題を解いている間は、誰のことも気にせず、今ここに集中することができている。学校の教室にいることが苦痛でしかなかった私は、入塾するまでは成績も芳しくなく、下位30%に入っていました。ところが、わからないことを知ろうとする好奇心によって、成績はもちろん、それ以上にこれからの見通しが明るくなってきたと希望が持てるようになったのを今でも覚えています。ターニングポイントだったと思います。今までピンチのときに、さまざまな人がそれぞれの観点でサポートしてくれたこと、これから遊び心をもって、可能性を広げていくためにも、基本の型である「守・破・離」を忘れないようにしていきたいです。

*写真はEテレ2355「ディオファントスの一生」より

解説はこちら⇨ http://www.nhk.or.jp/e2355/diophantus/

墓碑銘に何を刻もうかなぁ。人生はおもしろい。