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きょうのエスキス

一級建築士の学科試験に向けて奮闘中。静かにじんわりと、日々の振り返り。自分のための。B面。

てっぺんよりも底を知る

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「他人から聞いたつまらない説を伝えるのでなく… 私はこう感じた、私はこう苦しんだ、私はこう喜んだということを書くならば、世間の人はどれだけ喜んでこれを読むか知れませぬ。」

先週末、ここでもお伝えしていたように、ジュンク堂難波店で行われていた「高尚なる勇ましい生涯ー内村鑑三と『代表的日本人』」の講演会に行ってきました。『悲しみの秘儀』の若松 英輔さんの解説だったからか、意外にも半数以上が女性で、若い方も多く、静かで奥行きのある時間が流れていました。

「言葉」は心の内を書き記すことだと、内村さんは『後世への最大遺物』のなかで述べられています。「読み書きは呼吸と同じ。だから、書いてください。書くことで、何が書けないかが分かります。言葉の奥にあるものに触れることができます。言葉や音は消えません。」「頭だけを働かせると、視野が狭くなります。そんなときは、見たくないものに触れるときです。悲しみの中にこそ、見つけられる何かがあります。完全無欠はありません。不完全なのが人間なのです。」「自由と独立。独立とは、万人が反対を向いてもひとり立つということ。ひとりだからこそできることがあります。何かを変えたいと思ったら、ひとりでなくてはなりません。」作り手の内村さんの思い、伝え手の若松さんの思いが交差し、聞き手の私も話にぐいぐい引き込まれていきました。

doing(すること)< being(いるだけで何かを伝えうること)で、こんなふうに生きてもよいのだということを体現することの方が影響力を及ぼすのだと。人間には、てっぺんもあるし、底もある。自分のいちばん賢い、いちばん美しい、いちばん役立つところ、すなわち、「てっぺん」を見せようとしていた… だけど、「底」にこそ本質が隠れているのではないだろうか?と思いを巡らせていました。自分が気づいていないだけで、きっとまわりの人にはお見通しかと。

昨年仕事を辞めて、 ゼロになってもがいてみて、そのひとの外側にある、社会的なポジションや実績よりも、そのひと自身が何を感じ、何を思いながら生きているのかということに興味を持つようになりました。そのひとの本質を知り、お互いが響き合ったとき、真につながり合えるのではないのかと。ここ数日、リアルに会ったり、メッセージのやりとりを通して、相手の「底」の深さや厚さを知り、ますますそのひとたちのことが、私は好きになりました。ストレートに思いが伝わってきて、言葉にならない嬉しさをかみしめていました。これからは、自分の「底」を鍛え、育んでいくことで、言葉の奥にあるものに触れられたらなぁと。私も「底」の深い、厚い人でありたいと思いました。そして、自分の言葉を紡ぎ続けます。私は本当にひとが好きだ!!