勉強はやさしくなるためにある
久しぶりにここに戻ってきました。自分のために残しておきます。いろんな人に「勉強をします宣言」をしたら、ひとと適度な距離を保てるようになりました。感受性が強いのに、外から入ってくるものに無頓着なところがあり、すぐにくたびれていたのです。けれど、相手をイヤな気持ちにさせずに、付き合いを選べるようになりました。すると自分から発する表面上の言葉もかなり減りました。いわゆる省エネはこころにやさしいですね。最近ツイッターのcheruさんの言葉に癒されています。
来週も「自分も何か一言言っておきたいという想いだけで口を開いてはいけない。どうしても何か言いたい時は『ぴよぴよ』と言う」の方針で乗り越えていこう
— Cheru (@Cernobyl) 2017年2月26日
勉強は誰にでも平等に与えられている機会だし、努力次第で結果もついてきます。何かに不満を持っていたり、現状を変えたいと思っていたら、他人のせいや、社会のせいにせずに、まず自分から変わろうと思うのです。そのエネルギーを勉強の原動力にして、新しい世界を増やし、想像力豊かでありたいと思うのです。ただそれはキャリア志向とは違います。わたしにとって、勉強はやさしく生きるためにあるのです。それが教養なのかなと思っています。歳を重ねていけば、考え方も大人になるのかと思っていたのですが・・・ 勉強を通して、自分の内面にある子どもっぽさを適切に処理できるようになった、難しい課題をハードルを下げ、簡単な事柄に切り分けられるようになったという感じです。何かが成長するとすれば、きっとこの方向だし、これからも自分に合ったやり方で、相手に応えていくしかないなぁと思っています。今それがとてもしっくりきています。
「競争に勝ち抜けばこんなに良いことがある」という進路の話に対して「競争で最下位になってもこういうキャリアパスがあって健康で文化的な生活が得られる」という退路の話はあまり聞かない印象があるけど、個人的には両者はセットであってほしいと思う(分野の発展を個人の自己責任に頼るのは厳しい)
— Cheru (@Cernobyl) 2017年3月24日