「わからない」ということ
建築士の勉強をこれまで続けてきて、自分自身で変わったなぁと思うことがあります。それは、「わからない」という状態が続くことに、あまり苦痛を感じなくなったということです。たとえば、勉強なら暗記系、ドラマなら起承転結がはっきりしているもの、そういうすぐに解決できるもの、誰かが解決に導いてくれるものなら、以前も耐えられてはいたんです。ところが、今回の勉強においては、「わからない」ところから、自分自身で考えないと、前に進みません。問題に対する理解度、時間配分… さらに、前に進んだと思ったのに、忘却の波が押し寄せてきて。
今までの勉強は表面的にサラッと、広く浅く、量をこなし、丸暗記していました。それでも対応できていたんです。しかし、年月が経ったせいか、年齢のせいなのか、まったく覚えられなくなりました。そこで、なぜそうなったのかを深く学び、創造力を働かせ、その応用で他の問題も解くというやり方に切り替えました。そうやって、考える力を身につけていくことで、勉強はもちろんですが、一時の感情に流されたり、他のことにあまり左右されなくなった気がします。
職場の塾の先生方が、小学生の塾生さんに、「ここで頑張るかどうかで、この先6年間(中高一貫)の人生が決まってしまうよ。問題文を最後まできちんと読んで解くこと。試験時間があまったら、見直しをしっかりするように。」と喝を入れていましたが、自分にも当てはまるなと。
さらに、塾を開業した友人から、今日メッセージが届きました。
「モーリィさん、こんにちは(^-^)/ 私は明後日から門真にセカンドルームを借ります!ところで、年末の読書会に来ていた磯田さんという方を手伝って大人の読書会というイベントを開くことになりました♪ モーリィさんは、試験前で今回の参加は難しいでしょうか?今後、隔月で読書会と討論会をしていく予定なので、もしご興味あればおっしゃってくださいね(^ー^)ちなみに8月の討論会は8月20日(日)です♪」
こういう仲間がほしかったんです。みなさんの優しさがこころに染み入ります。しあわせだなぁ。
久しぶりにCheruさんの登場です。
考える習慣のできている人達を見ると「今の自分の価値体系では解釈できない」「答えが1つに決まらない」といった「わからない状態」への耐性の強い人が多い気がするけど、話の上手な人も同様に「自分が主役ではない状態」「自分のことが正確に伝わらない状態」への耐性が強かったりするのかもしれない
— Cheru (@Cernobyl) 2017年6月17日
物事を理解するのが好きな人が「わかる」を仕事にするために研究者になるのかなと昔は思っていたけど、何かを理解するということはその先にある別の「わからない」と向き合うことと表裏一体だと思うので、むしろ「わからない」を仕事にするのが研究者なのかなと最近は思っている
— Cheru (@Cernobyl) 2017年6月24日