サムいこと言っても大丈夫
設計事務所の帰りに、官庁街のスタバに入るのが習慣になりましたが、みなさん今日もひとりの世界を満喫されていて、その佇まいを見ていると、なんだかホッとします。どちらかというと、親しみやすい「かわいさ」のある場所よりも、少し距離感のある「かっこよさ」のある場所を好むようになりました。私にとって、かっこよさは憧れであり、手の届かない存在であり、正体がつかめません。だからこそ魅力的に感じるのです。こう考えると、わからないことが好きで、それを知ろうとすることが好きなのも、腑に落ちます。最近「ひとりの人と深く付き合う」ということの大切さを、しみじみ感じています。ひとを理解する楽しさ、豊かさをこれからもっと経験していきたいなと。100人の知り合いよりも1人の友人とじっくり関わり合っていきたいなと。そこで、観点を見つけるため、電車で移動するときに、山田ズーニーさんのほぼ日の「おとなの小論文教室」のバックナンバーを読むようになりました。
自己を表現することは自分の正体を知るようで恐い。自意識ライジングな人ほど恐いけど、「自分が本当に想っていることを話す」ことからしか自己表現は始まらない。サムいこと言っても失敗しても大丈夫!さっぱりと次の勇気になる。https://t.co/dbr4FmuxjZおとなの小論。更新!
— 山田ズーニー (@zoonieyamada) October 26, 2016
ズーニーさんの文章を読んでいて、私もほんとうの気持ちを伝えたくなりました。このブログは、私によほど関心のある方しか読まないので、心おきなく自己表現できるはずです。それなのに、下心で気の利いたことを書こうとしたり、都合がわるくなると、考えることをやめてはぐらかしたり、実生活と同じことをここでもやらかしてしまっていました。そんな文章は読み返してみると、とにかくサムいです。けれど、それでもいいじゃないですか 笑。ひとには私の言動や行動がサムいとわかるけど、自分にはわからないこと、まだまだたくさんあると思います。えーい、この際だから、重箱の隅つつくの助も参上だー。これでも人間やってます、はい。