きょうのエスキス

一級建築士試験、R2学科復活合格。製図が鬼門。R3は自分に負けない年にする!じんわり日々の振り返り。

そとにひらく

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ここでも書いたように、私が好きな本である「真理先生」を職場の同僚にプレゼントをしたら、「ありがとう、フォルカーせんせい」が届きました。あらすじもなにもわからないまま、今朝読んだのですが、ラスト1頁を読み、ぐっときました。私のなかで、オセロの黒が一気に白にひっくり返るような感覚があり、こころが解けていくのを感じました。これはきっとアンサーなのだなと。「みんなと ちがうってことは、いちばん すてきなこと じゃないか。 」おばあちゃんの言葉が、主人公の根底にあったからこそ、フォルカーせんせいとの出会いで、壁を乗り越えられたんだと思います。ぜひ、みなさんも手にとってみてください。

話は社会人一年目に遡ります。女性が働きやすい職場だと聞いて入社したのですが、フタを開けてみると、男性から異性としてかわいがられることが前提にありました。これって、小学生の頃に味わった、先生から気に入ってもらわないと受け入れてもらえないというプレッシャーと同じだ。そして、なによりも若さが大切でした。仲の良かった同期たちも、若い男性社員の前でのふるまいとは違い、女性の先輩社員に対しては、イヤみを言い、先輩たちがそれに反逆するという攻防戦が繰り広げられていました。しかもそれは、今に始まったことではないようでした。詳しいことは省略しますが、その対象は私にまで広がり、完全に行き場を失ってしまいました。華やかな世界に私の居場所はないんだ。今から考えると、私も同期も、一部の先輩社員たちも、ただ安心感と自信を得たかっただけなんだと思いますが、当時はつらくて仕方がありませんでした。今まで良くない思い出として仕分けされ、消去していたんですが、つい最近大切なことを思い出したのです。

このブログでも何度か登場している八木さんの存在です。それと関わっていた仕事そのものです。Facebookのお友達が、マイケル・ポーター教授の「競争の戦略」について投稿していて、その流れで勉強会をしようという話になりました。なぜかその話を聞いたときに、当時の記憶がよみがえってきたのです。今までの話だと、なんという会社だと思われたかもしれませんが、これこそが私が仕掛けた大きな呪い、レッテルだったのです。

実際、本社はアメリカ・ミネソタ州にあり、日本の一般企業の社風とはかなり違っていました。東京で2週間基礎をたたきこまれたOJT、その際に相模原工場で見た製造技術、全国会議で目にした、マーケティング事業部の資料のデザイン性・プレゼン力の高さ、当時の先端だったイントラネットを使っての問い合わせ対応、改善活動チームの会議、CADで作成されたコネクタの図面やMSDS、輸出用のタグ・サンプルの発送… 3万ほどの商品がある割には、事業部にいる営業部隊が少なく、主力製品をひとりで担当している人がほとんどでした。そして、セールスサービスと呼ばれていた私たちは、本社とは違い、いくつかの事業部を兼任している状態で、製品知識やコミュニケーションが図れないと仕事になりません。どれもが今までの世界とは違い、新鮮でとがっていました。自分のすることが、ひとにわずかながらでも影響を与えることができるのだ、社会に出ることってすごいなと感じていたのが、当時の真実でした。

八木さんはそのときの私の教育係でもあり、バディでもありました。始めのうちはとても厳しく、仕事が遅すぎるとよく注意を受けていたのですが、慣れてくると、ひとつの業務、事業に関する背景、会社のビジョンや社会性を教えて下さいました。そのなかで、八木さんのこの言葉を思い出したのです。「この会社では、製品と技術を仕組みとして切り離していてね。なぜかというと、価値の下がった製品や事業は『捨てやすく』なるからなんだよね。日本の企業とは違って、身内にシビアだよね。莫大な研究費用をかけて、商品をつくっても、すぐ模倣されるからね。今まで何度もそういうことがあったみたいだし、技術を守り、生き残っていくには仕方がないのかもしれないね。」もしかしたら、ポーターの投稿とリンクしているのではと発信したところ、「技術は企業にとって大事な戦略です。研究開発とも関係し、間接費として取り扱いますので、切り離して管理する方がいい方法だと思います。蓄積された技術をどう評価するかは難しい問題ですが、競争優位の大きな源泉となります。」とコメントが返ってきました。実際に久しぶりに見た企業のホームページは、サイエンスとテクノロジーに集約されていて、さらに勢いづいているように感じました。

『戦略的』はあまり好きな言葉ではありませんが、相手の立場からコミュニケーションを図り、考えを伝えるには、共通言語を知る必要があります。そう考えると、この貴重な経験もむしろプラスに働くのではないのかなと。このやりとりをしていて、なぜか前のめりになっている私。職場環境に対する思いこみから、当時の出来事を全否定していたのですが、ようやくその呪いが解けました。仕事が好きになったのもここが起点でした。技術を身につけたいと思ったのも、このとき揺るぎないものを得たいと思ったからだと原点を思い出しました。ちなみに経済や経営、お金のイメージもよくなかった私ですが、ひそかにビットコインクラウドファンディングに興味があり、今回思いきって一歩踏み出しました。せっかく生きているんだから、同じページばかりを読まずに、先の展開にドキドキしますが、読み進めていきたいなと思った今年のクリスマスでした。どの道も愛おしいなぁ。八木さんの真のやさしさが深く染み入ります。以上、B面でした。