きょうのエスキス

一級建築士の学科試験に向けて奮闘中。静かにじんわりと、日々の振り返り。自分のための。B面。

さようなら、こんにちは

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今年のお盆は、私にとって特別な時間となりました。旅立ちは新たな始まりなんだと。お盆に入り、お墓参りの準備をしていると、町内放送が流れて、妹がこちらに駆け寄ってきました。「マサエさん、亡くなったんやね。」小学生の頃、不登校だった時、よく家に遊びに来てくれて、温かく接してくれたのが、マサエさんでした。祖父母が亡くなってからは、お付き合いがなくなったものの、たまに思い出すことがありました。あれから30年経ち、マサエさんは102歳になっていました。わが町では町内にお墓があるので、お墓参りが身近なものになっています。高齢者の方が多く、みなさんと生活リズムが違うからか、町内の人と挨拶を交わすのがお墓というシチュエーションも多いです。だからか「死」はお別れではない感じがしていました。

じつは、マサエさんの言葉は、私だけでなく、祖母にとっても生きる励みになっていました。わが町は身内にはとてもやさしいのですが、閉鎖的でもあり、よそ者に対して相当厳しかったのです。母によると、長崎から出てきた祖母も、母家(おもや)から「どこの馬の骨かわからんモンが…」とよく言われていたようです。それでも、祖母があっけらかんとしていて、大らかだったのは、マサエさんの存在が大きかったんだと思います。私にとっても、おばあちゃんの知恵袋的な存在で、学校で窮屈に過ごすより何倍も楽しい時間でした。

昨日の朝、香典を渡しに、初めてマサエさんの家に伺いました。マサエさんの家は、歩いていくには距離があるので、自転車で行ったのですが、シルバーカーを押しながら、来てくれていたことを想像すると、それだけで込み上げてくるものがあります。ご家族に会うのは初めてで、受け入れてもらえるだろうかと一瞬不安が頭によぎりましたが、マサエさんへの感謝の気持ちを伝えたいとインターホンを押しました。すると、マサエさんのお嫁さんが出てきて、ニッコリ笑って迎い入れて下さいました。「まさちゃん(母)とこの… ?まぁ、中に入って」居間に通してもらうと、遺影写真が飾られてあり、引き寄せられるように向かうと、小学生の時に見た、マサエさんの姿そのものが、そこにはありました。マサエさんを近くに感じ、お嫁さんがいる状況を忘れて、思わず「うれしい」と口走ってしまいました。しかし、お嫁さんにもその思いは伝わったようで、「ありがとうね」と応えて下さいました。

さらに、お嫁さんは初対面の私にお茶まで出して下さり、最近までのマサエさんの様子を教えて下さいました。6年前から近くの病院で過ごしていたこと… 町内の人の話をよくしていたこと… 以前よりも少し痩せたが、自分の歯が残っているからか、表情が良く、最期まで若く見えていたこと… 遠くの親戚よりも近くの他人と言っていた祖母を思い出し、熱いものを感じました。私もマサエさんとの思い出を自然と話していました。家にお菓子を持ってよく遊びに来てくれていたこと…「よそ者」で肩身が狭かった祖母を勇気づけてくれたこと… すると、「そんなふうに思ってくれてたんやね。じつは、お母さん(マサエさん)があちこちの家に一緒に連れて行ってくれてね。私もお嫁に来たとき、近所の方たちといろいろあったから、よくわかるわ。話が聞けてよかった。」と。私たちのこころの距離も縮まった感じがしました。最期までいのちを全うすると、看取る人々の心の中に、大きな存在となって永遠に息づくのだなと。今まで本当にありがとうね。人生は続く。

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