続・カフェにある「自然」
前回、都市部に住む私にとって、森林浴よりもカフェが「自然」と定義づけしてしまいました。ところが、ちょっと待てよ、このカフェというのが、かなり限定されてくるんじゃないかと、我に返りました。森林浴ならば、霧がかった針葉樹の原生林よりも、温かみのある色合いの広葉樹の森がお気に入りであるように。カフェならば、よそ行きの顔をしなくてもよい、個の自分に帰ることのできる場所。偽らず、どこか隙がある人々が集う場所。意図を持つと、主張したり、相手に圧力をかけてしまいますが、それがない場所。作り込まれ過ぎていない場所。職場でも、家でもない、第3の居場所、いわゆるサード・プレイスですね。「サード・プレイスにいる人たちは、しばしばあったかい感情を共有する。あたかも同じ家に暮らす者同士のように。この場所に根ざしている感情を持ち、精神的に生まれ変わることを得る。」(Wikipediaより)同じ系列のお店でも、心地よく感じる場所とそうでない場所があり、今ここを掘り下げているところです。
今日もいつものようにふらふら歩いていたら、冷たい向かい「風」が吹いてきて、ますます寒さを感じるようになりました。「風」というのも面白いもので、木々が揺れるのを見たり、私自身のカラダにふれたり、対象物があってこそ、五感を通して、その存在がわかりますが、輪郭ははっきりしませんね。新しい「風」が吹く、「風」通しのよい関係と言いますが、そんなほどよい「風」に巻き込まれたいなぁと思います。完全にまわりの空気を変えてしまう、風向きや強弱をコントロールしてしまう、クーラーではなく、扇風機のような「風」。曖昧だからこそ、柔軟性のある感じがいいですね。あっ、そんな「風」が吹くカフェが、私にとっての「自然」なのかもしれません。って、だんだん私の語りが、コラム「風」になってきたような。このブログも、エスキスと言いながら、テーマが決まってなくて、かなり曖昧で、だからこそ、いろんな展開があって、しかも心地よく続けられるのかもしれません。ひとりブレストに近いかな?引き続きよろしくお願いします。
カフェにある「自然」
そうだ、旅をしよう!
やさしい気持ちで
連絡入試の試験結果が届いたようで、塾に続々と電話がかかってきました。感極まった第一声は、こちらにまっすぐ伝わってきますね。電話越しに漂う温かい空気に、私のこころの壁はさらに打ち砕かれました。なんや、この近さは。うれしさ、ダダもれ感は。私ってこんなに情に厚いひとだったっけ。やさしい気持ちがあったんだ!ともうビックリで。自分では社交的だと思っていたのですが、どこか冷めたところもあって。今思うと…相手に対して喜んでいるフリを見せているだけでした。相手の幸せを妬んでいたのかなぁ?いや、もしかすると、素直な気持ちを表現して拒絶されたらどうしよう、そんな怖さのほうが大きかったのかもしれません。仕事に対しては強気なのに、ひとに対しては弱気で受け身だった私。もうはぐらかさないぞ~。あの西川くん(仮名)もお母さまと突然の来訪。わずかながらに前進したなとガッツポーズした1日でした。
非常勤の先生たちのなかには、今月から地元で音楽サロンを開く方、司法試験の勉強を続けながら来月結婚をされる方… それぞれの生き方があるんだなぁといつも励まされます。私はというと、自分の勉強がそっちのけになるくらい、この塾に対して愛着がわいてきました。どうしたら、子どもたちがのびのびと勉強できるんだろう?先生方がストレスなく、働くことができるんだろう?と。先日も塾長とゆっくり話し合う機会があり、根本思想を教えていただきました。そういえば、設計事務所の所長からも、仕事の取り組み方や考え方を教わっていました。ひとと触れ合うことで、世界がどんどん広がっていくんだなぁ。というわけで、突然ですが、来年度の合格に向けて、今回は独学ではなく、建築士会の講座に通うことにしました。私も塾生さんたちのように、好奇心を持って、仲間たちと共に笑って過ごすぞ~。年越しまでまだ2ヶ月弱あるというのに、来年の抱負みたいなことを… ウッホホ~イ。母の通院先に久しぶりに顔を出したら、主治医の先生も『なんかよかったね。』と喜んで下さいました。この一年でずいぶんと変化したようです。人生はおもしろい。
分岐点をたのしむ
明日から11月。附属中の連絡入試の日がついにやってきました。そして、中学受験はこれを皮切りに各校で行われるようです。この日で6年生は塾から巣立っていき、ひとつの分岐点を迎えます。今年は一年を通して、塾生さんと関わってきたので、思い出深いのですが、この土・日もいつもと変わらず接していました。これまでやってきた自然なペースでイベントを迎えられるといいなと、そんな心境になったからです。教室の入口にある事務スペースからは、後方の塾生さんが見えるのですが、夏期講習から入塾した西川くん(仮名)が私にとって気になる存在でした。
6年生の子どもたちを見ると、おとな顔負けな態度をとり、ハートをつかむ女子たちに比べ、無邪気に仲間たちと戯れている男子たち。そんななか、西川くんは誰とも群れようとせず、わが道をゆく、ふわふわ系。しかも、成績はトップクラスで、その存在感は圧倒的でした。もちろん女子たちにとっては気になる存在のはず。男子たちも西川くんに絡もうとするものの、休み時間になると、にぎやかな教室を出て、ふらふらとこちらの方へ。辺りを眺めては、無言で返っていくということを繰り返していました。しかし、言葉を交わすことはないのに、なんだろう?このお互いつながり合っているような感覚は。安心感があるというか。今まではアクションを起こさないと伝わらないと思っていたのですがね。「ただここにいる」ことの大切さを身にしみて感じました。
また、そんな気づきがあったタイミングで、ジュニアクラスの体験授業、冬期講習の資料作成をお願いしたいと塾長からお声がかかりました。専任の先生でない私に!?いったい何が起きているのか、よくわからなかったのですが、とにかく伝わってくるワクワク感。メールで質問をすると、直接電話がかかってきて、「倉田先生(仮名)の指導や懇談を通して、低学年の塾生さんが増えてきているんです。なんでかよくわからないんですがね… 倉田先生ひとりでは対応できなくなりそうです。カリキュラムなど倉田先生から意見を聞いてもらえませんか?一緒に打ち合わせをしたいです。」とのことでした。
お話を聴いていると、数年後を見据えて、低学年の個別授業を定着させ、大手の塾に流れずに、高学年の集団クラスに移行させたいという思いがあるのだなと。おもしろそうなことには、とりあえず首を突っ込みたくなるんですよね。今のままじゃダメだ、変わりたいと思っていたときは、なにも起こらなかったのに、このままがいいなと思ってたら、そうさせてはもらえない、この矛盾。これが流れに乗るということなのかな?結局こうして前のめりになっていくモーリィであります。
サムいこと言っても大丈夫
設計事務所の帰りに、官庁街のスタバに入るのが習慣になりましたが、みなさん今日もひとりの世界を満喫されていて、その佇まいを見ていると、なんだかホッとします。どちらかというと、親しみやすい「かわいさ」のある場所よりも、少し距離感のある「かっこよさ」のある場所を好むようになりました。私にとって、かっこよさは憧れであり、手の届かない存在であり、正体がつかめません。だからこそ魅力的に感じるのです。こう考えると、わからないことが好きで、それを知ろうとすることが好きなのも、腑に落ちます。最近「ひとりの人と深く付き合う」ということの大切さを、しみじみ感じています。ひとを理解する楽しさ、豊かさをこれからもっと経験していきたいなと。100人の知り合いよりも1人の友人とじっくり関わり合っていきたいなと。そこで、観点を見つけるため、電車で移動するときに、山田ズーニーさんのほぼ日の「おとなの小論文教室」のバックナンバーを読むようになりました。
自己を表現することは自分の正体を知るようで恐い。自意識ライジングな人ほど恐いけど、「自分が本当に想っていることを話す」ことからしか自己表現は始まらない。サムいこと言っても失敗しても大丈夫!さっぱりと次の勇気になる。https://t.co/dbr4FmuxjZおとなの小論。更新!
— 山田ズーニー (@zoonieyamada) October 26, 2016
ズーニーさんの文章を読んでいて、私もほんとうの気持ちを伝えたくなりました。このブログは、私によほど関心のある方しか読まないので、心おきなく自己表現できるはずです。それなのに、下心で気の利いたことを書こうとしたり、都合がわるくなると、考えることをやめてはぐらかしたり、実生活と同じことをここでもやらかしてしまっていました。そんな文章は読み返してみると、とにかくサムいです。けれど、それでもいいじゃないですか 笑。ひとには私の言動や行動がサムいとわかるけど、自分にはわからないこと、まだまだたくさんあると思います。えーい、この際だから、重箱の隅つつくの助も参上だー。これでも人間やってます、はい。
秋の夜長は「ニコニコ日記」
塾で子どもたちと接している時間が多いと、本を読みたくなり、建築の仕事や勉強をしていると、なぜかヒューマンドラマが観たくなります。そんなわけで、最近ドラマの感想が増えてきました。今日は前から気になっていた「ニコニコ日記」を。一話が15分間なので、息抜きがてらに観ることができます。じつは建築の学校に通っていたとき、「風のハルカ」を毎朝観て元気をもらっていました。物語の中盤あたりから、さまざまな伏線が張り巡らされていて、ホームページの掲示板で、視聴者からの感想を読んでは、「その仮説や心情わかる!」と嬉しくなったものです。今でも由布岳と猿丸さんを思い出すと癒されます。こんなステキな作品をいったい誰が… 脚本家が大森美香さんだとわかり、当時ほかの作品を調べてみたところ、この「ニコニコ日記」があったというわけです。今では大ヒットした「あさが来た」が代表作になりましたね。愛すべきケイちゃんとニコちゃん。温かさがじわじわと伝わってきます。これで秋の夜長を楽しめそうです。